誰もが情報を発信する時代に、あなたが情報の真偽を 判断するうえで、心がけていることは何ですか。具体的に 書いてください。 (文字数の指定なし)
SNS上などの中傷ー歪んだ「正義」の暴走
「あなたは、自分が誹謗中傷の加害者になることもありうると思いますか。」
ない。
「なぜ、そう思いますか。」
私の仕事は自分の意見をもつながら、中立性を保つためである。
また、あらゆるの情報源からの情報収集ができる、胡散臭いことに巻き込まないの点もある。
こういった団体的の行動については、第二次世界大戦のドイツの軍人たちの例も良いかもしれない。
もう一つの例を忘れたが、具体的にいうと、人間の脳の深く潜んでているトリガーになるキーワードで発動。
4番の「社会・経済的環境要因(貧困や教育など)」を「誘因」にいうのは納得できない
「人間性への共感」と「傍観者グゼは、我が身に跳ね返る」
アメリカのニュース砂漠の例を紹介しなくても、日本はもはや砂漠より、ニュース地獄じゃん?
誰もが情報を発信する時代に、あなたが情報の真偽を判断するうえで、心がけていることは何ですか。具体的に書いてください。(文字数の指定なし)
①情報収集の緻密性(あらゆるの情報源、信用できるかどうかを問わず)
②情報分析の完成度(あらゆるの可能性、0に近いの状況でも)
我々は一般人、大統領であろうか、小学生であろうか、神様ではない。所詮一般人である以上は、真偽に関わらず、あらゆるの状況に対する準備を整えているかどうかが問われるべき。
これは、トレーダーとしての「真偽を判断するときの心掛け」。
また、他人との交流や他人を説得するみたいな話は先生がおっしゃいたが、それはしない。
ハーディング現象(Herd behavior)のは一つ、他人を説得する時点からもう負けているのはもう一つである。
情報をそのまま相手の前に提示したにも関わらず、説得が必要になる時点はもう救いがないと考えている。
説得するかどうか、それを判断するのは個人として、人間としての基本能力ではないかと。
しかし、この授業を受けたとしても、単位を修得したとしても、レポートがどう上手く書いたとしても、大半の学生は操縦される運命から逃げられないだろう。なぜならというと、demoralizationの段階は数十年前からもう完成し、今はその極めを達している。社会学も心理学も、さまざまな学問は前代未聞の実験を体験している。
対テロ戦争とされたアフガニスタン戦争とイラク戦争で、米国の失敗は何か。強大な軍事大国は何を読み間違えたのだろうか (文字数に指定なし)
1.ある程度情報統制はまだできていない。
2.発信機関とした新聞などはまた良心を持つ、有志者がいる。
3.インターネットの利用率はまた低い。
4.当時の人間の脳がまた退化していない。
5.Bidenの当選。
戦争の本質とは、理解しないといけない。
「ビジネス」
今の時代は、インターネットが高度発達している中、情報統制が上手くできるようになっている。
一般人の認知力退化作戦はもはや考えたこともないほどの成功であり、プッシュされたものしか見ないのは、現代における一般人の生き方になっている。
しかし、紙新聞を見ればいいとは言えない、現代に入り、有志者を排除、言葉だけうまい人が昇進できるのは、どの業界でも発生していることである。真実を書いたら上の人間が喜ばない。長文を書くと読む人がいないなどと、新聞の真実性がなくなっていた。
なぜ調査報道記者の数が激減しているのは、以上の三つの理由でも十分ではないかと。
以前の本を思い出した、Neil Postmanが書いた「Amusing Ourselves to Death: Public Discourse in the Age of Show Business」
全ての記事が娯楽のために書かれている。今回のウクライナ戦争もそういう傾向が強い。
事件報道はなぜ、必要なのか。授業を踏まえて述 べなさい。 (文字数の指定なし)
一般人を守る。容疑者も、被害者も、一般大衆も。
詳しく言えば、一般人対する注意喚起と冤罪の防止。
また、事件に対する深堀によって、分析や原因究明ができ、一般人に面しても理解できるように伝える。
残念ながら今の時代は、今の大半の人間は、新聞やニュースを見るのは、リスクマネジメントの視点からではなく、娯楽を探すのがメインになっている。
メディアスクラムというのは、
素人がどんどん業界に入っているのも
京都アニメーション放火殺人事件で、京都府警の捜査一課長は、被害者の実名を公表した理由について「事件の重大性や公益性から判断。匿名にすると、憶測が飛び交い、間違った情報が流れる懸念があった」と述べた。妥当な判断だと思うか。それとも公開すべきでなかったと考えるか。理由も簡潔に書いてください。(文字数の指定なし)
妥当ではない、公開すべきではなかったと考えている。
いくらどんな意義があろうと、親族の気持ち、考えを一つの決定的要素としてみないと、成り立たない。
マスメディアはなぜ、実名報道が原則なのか。授業で学んだことを踏まえ、事例をあげて述べなさい。(文字数の指定なし)
1. 安否確認 → KAZU I
2. 存在した証? → これはどうかと、災害などが多いのでは。東日本大震災の震災遺構に刻まれる名前
3. 差別問題 → 障害者などが絡まれる事件 やまゆり園
少年犯の実名か匿名かの問題なんですが、これは明らかに実名すべきである。
懲役後の再犯の危険性はどうするか、二次被害をどう防ぐのか。ただ「子供だから、今後の人生を謳歌してあげたい」と言う甘い考えはいかにも狂っているではないか。
さらに、被害者側はどうするのか、被害者側だけが実名され、今後はどうやって生活していくのか。
被害者の家族だけがその悲しみを背負って生きていけない一方、ないと同様な少年犯に対する懲役後、また人生を謳歌していく、これは人間として、社会的動物として、納得してもいいものなのか。
と、私は考えている。
ちなみに、こういった「保護」があるからこそ、今の時代で少年犯は後は絶たない。
「責任」と「悪果」を考えずに済むからである。
日本の政治は、世論を反映していると思うか。理由 を付けて書きなさい。 (文字数の指定なし)
世論を反映しているとは考えられない。
国葬の問題
日銀の金利問題
消費税増税問題
ガソリン税問題
顔写真の取り違え
Q
1 なぜ、間違えたのだろうか。もし、自分が間違え るとしたら、と想像してみる(取材上の疑問点や 問題点を洗い出してみよう)
2 どうすれば、誤報を防げるだろうか 写真の掲載を見送った報道機関もある。掲載・未掲
載の分かれ目は何だったのか。その教訓は?
こういったことの本質とは何かをまず明らかにしなければならない。
それは、新聞の「コピペ」である。
大ヒートになっている新聞を夢中に追いかけることである。一番速い報道すればいいとの思い込み。
結果としては検証せずに、新聞を発表した。
防ぐ仕方
多数の情報源の確保
情報収集と分析の能力
第三者視点から見る能力
を身につける。
また、以前提出した課題の通り、問題は誤報を防ぐではなく、情報取集と分析の能力が人間としてあるべき能力であると。
ps訂正しても、既に発生した損害は消えない。
デジタル社会の進展で、不安に感じていることは何か。具体例を挙げて書きなさい。不安がない場合も理由を述べなさい。(文字数の指定なし)
不安だけ話すと意味がない、不安の根源を知らなければならない。そうでなければ根拠なく「不安」になる。
デジタル社会、もしくは科学技術の発展の末路とは何か。
警察国家だろう。
権力者にとって技術は自身の政権の安定性を維持する手段の一つであることが一般人はまた理解していないだろう。
しかし、私は不安を感じない。この中で不安が感じられる人は一般人である、この井の中から脱出できない一般人である。
中学中退し、業界進出して、今でも関わりしている私はその手段や原理を全て知っているから、不安がない。
人間は、一旦その原因を知っていれば、対処法があり、不安も消える。
日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックル事件 の謝罪会見で、選手側と監督側のどちらに説得力があっ たか。その理由を含めて書きなさい。
(文字数の指定なし)
どちらでも説得力がない。
人間は醜いものだ。このような謝罪会見は、責任転嫁、できるだけ自分の未来への影響を最小限にすることしか考えていないものだ。
次ページの課題文を読んで、あなたなら、どうするか。授業を受ける前と後で考え方は変わったか。その理由は。(文字数の指定 なし)
あなたは、菓子メーカーの製造課に勤める正社員である。ある日、製造課と 経理課がひそひそ話をするのを目撃した。その後、製造課長から別室に呼ばれ 「ここにある製品の賞味期限ラベルを全部はがしてくれ」と指示された。「これは 誰にも言うな」とも言われた。500個のラベルをはがしたが、「何のため」と疑問 がわいた。はがしたラベルには約1か月前の日付が入っていた。
翌日、入社したばかりの後輩が課長に呼ばれ、別室に。3時間ほどして、後輩 はうんざり顔で出てきた。
帰り道、事情を聴くと、後輩は「課長から、ラベルを張ってくれと言われた。500
枚もですよ」と言いにくそうに答えた。口止めされていると、分かった。ラベル張 りは製造過程で自動的に行われている。なぜ、手張りなのか。疑念が深まった。
次の日、別室をのぞくと、製品はなかった。後輩を飲みに誘って、聞いた。「ラ ベルの日付は?」「2カ月先です」。
ピンときた。賞味期限切れの製品を、新品のように偽装したのだ。自動ラベル 張り機だと、正確な日付が記録されてしまうから、事情の分からない新人に手 張りさせたのだ。
状況によるものである。
内部告発は、個人の能力が問われる。
メディアとの接し方、公衆に対する注意喚起ができるかどうか、個人の経済能力などなど。
私はこう思う、業務と経済能力があればそのような工場で働かないだろう。しかし、この題のために、この工場で働いている前提をしよう。
1. この業界から引退し、他の業界で働ける。この国から離して、他の国で働ける。という前提があれば、内部告発することは一つの選択肢に入れられる。
2. 私は無能で、ここしか働けない。他の仕事ができない。他の業界に入れない。他の国に行ける自信がない。という前提であれば、内部告発は論外である。この場合では正義感が子供の遊びと同じようなものである。
すなわち、個人のあらゆるの能力が問われる。無理矢理にするのは、悲惨な結果しかないのだ。
*授業の前後には考え方が変わっていません。
私の考え方は世間に知られたら、恐らく「良心のない人間」と言われるだろうが、そう言える人間は脳みそが付いていないから私は心配しない。
ちなみに、西日本でしたら、「西宮冷凍」も良い例だろう。
あなたなら、情報公開制度を使って、国や自治体に 対して、どんな情報の公開を求めますか。その理由も 含めて書きなさい。 (文字数の指定なし)
全国全ての議員の収入と使った予算を公表、また、コロナに関する補助金の使い道についての公表。
もし本当にのり弁がなく、「不開示」がなく、恐らく50%以上の議員(市議であろうか、町議であろうか)が辞任になるだろう。
まぁ、今の国家議員を見ると、どんな醜い過去があっても当たり前のように座っている人も少なくはないことから、辞任はないだろう。
開示不開示はもはやこの国では意味がない。
名古屋市にある入管施設に死亡したスリランカ女性の事件には全部とは言わないが、ほぼのり弁になるものは被害者に交付できるのだろうか。法務省、開示に携わる人には恥知らずだろうか。
「隠したのは公開済み情報」にあった矛盾、一つの問題もしくは事実が明らかに、それは日本の政治家は所詮三流、ちょっぴりした脳みそがあったらわかる。
だから、このような、「我々は自由な国だよ」という見せかけはもう国民、外国人を馬鹿にしているにしか見えない。政府が「不開示」という決定権を握った瞬間はこのような制度は無効になる。さらにファイル名を誤魔化す方法が採用される。これは中国の完全に不開示とどのような違いがあるのか。のり弁、もしくは一部のファイルしか探し出せない、もしくは完全に不開示は真理を歪むしかない。
*国民が政治への関心があるかどうかは置いといて。
英国の情報公開で、日本と英国の比較があるが、それはまた根本的な問題に戻る。それは日本は本当に民主国家であろうか。
日本の民主主義は、日本の国民が戦い、得られたものではない。日本の民主主義は、アメリカから半強制的に「送られる」ものである。だから日本の国民が政治への不関心はあり得ないでもない問題である。所詮送られた民主主義だから、自力的に取り込むことはもちろんあり得ないことだ。
つまり、「自由は空気のような不可欠なものであり、自分で自分の権力のために戦う」と「自由は空気のような当たり前のものであり、自分は何もしなくてもあるもの」の根本的な区別だ。
実際に発生していることは、小説、ファンタジーより重く、残酷。さらに、幻想を超える存在である。
報道されるのは、氷山の一角にも及ぼせない程度である。
情報リテラシーの力だけでは何もできない。偏見にしか言えない。
人間は、成長の過程で、何かを学ぶ、何かが教えられることによって、物事を見る角度が違う。つまり、絶対の客観が存在しない。
さまざまなことを学ぶ、さらに自分の思考方法を完成させることによって、人間が成熟になる。
例えば去年のウクライナ戦争の話、無常識の一般人、洗脳された一般人、社会の奴隷になっている一般人は、考えずに、手元にある新聞やニュースを見て、「あ!ロシアが悪い!」「ウクライナ支援!」と言う。
しかし、本当にそうであろうか。
以前言った通り、情報量は物事の見方を変える(情報の扱い方を知らないとしても無用)
さらに、ここで追加されるのは、さらなる専門知識がないと、情報リテラシーの力があるとしても、無用である。
ウクライナ戦争は、世界史と経済。もしくは今この地球における基本、我々今の生活を構築している基本。これらを知らないと、意見を言う資格すらない。
コロナであろうか、ウクライナ戦争であろうか、ただのshit showに過ぎない。
はいはいはいはい、人間は死んでいる。
しかし、死んでいる人たちは、自分はなぜ死んだのかを知るのか。
人間は誤った理念を信じた場合は、死ぬことになる。
すべての表面を見ないで、何かを隠しているものを見る。
これは、私が、この授業の最後に言える話である。
Comments
2 responses to “メディアリテラシー論”
很羡慕data四总一类人吧,感觉你们离得够远,看的够清,也学的到自己想学的东西。可能对我来说焦虑同时来源于只能在普通人抓不出头绪的数字洪流里看到被安排看到的,以及在只能以被传统教育、家庭观念赋予的世界观下看待事物的狭隘方式吧。
我觉得,这个东西很因人而异。我一直以来相信的是,每个人由于成长环境和受到的教育不一样,会让每个人都有无法抹去的烙印。
而这个烙印会影响很多人一生。(但有时会因为各种因素改变,但这个改变也会成为烙印的一部分,就像我接下来说的。)
我承认我是幸运的,因为我在小学和初中的时候都受到过无数不公,做了8年的乖小孩,最终在初中毕业前一年退学。
直到那个时候我才真正意识到很多事情,一直影响到现在。