私は先生の「弱者保護」のようなことには違う意見を持っています。
「頑張った人が心折れないように」という言い方はいかにも小3のような感じとして受け止めています。
まず年齢と社会地位から考えると、ここは大学です。この授業に参加しているのは18歳以下の人はいないと思います。(いるとしたら失礼しました)
成人です。刑事能力と民事能力を有する成人です。また、大学生として「準・社会人」としての意識を持つべきであると考えられます。
学生時代の「これ簡単やん」などのまだマシな言い方で心が折れてしまうとしたら、社会人になって課長から バーンと「これもできないのか、バカじゃない?」というようなことがあったら一瞬で「心が折れる」じゃないですか?
(もちろん、「これパワハラ、訴えてやる」と言うなら、もう無意味です。ここで討論するのはそういう事後の問題ではなく、未然防止の話です。)
このような過保護で悲惨な結果になる事例は何件も経験した。それに上司からのパワハラではなく、実際に過保護され、成長してきた人が、ほんの強者の前でつぶされてしまったことです。しかも強者はただ自分のことをやっているだけで、弱者はどう努力しても追いつかないまま、自身を泥の中に沈んでしまい、自殺したのです。まさに先生が保護している人たちのような人です。
大学は「学生」から「社会人」に生まれ変わる緩衝地帯であります。
生々しい社会に対する「準備」が全くできていない状態で、社会の中に晒され、どうなるのでしょうか?
先生はおそらく学生のためなどの理由があるかもしれません。しかし、社会に出てしまうと、無関係になり、過保護による「被害」は過保護をした人は責任を取らないし、取れないと考えられます。
もう一歩深く考えると、または大きく考えないといけないことは
理想的なやさしい「心が折れない」世界は、人類の進歩に対する貢献ができもしない。
人間は向き不向きがあると認識したうえ、向いている人は向いていない人に優しくするではなく、
向いている人はきちんと向いている分野で羽を広げる環境を作る。
また、向いていない人は向いていない分野で苦しむではなく、向いている分野を探せる環境を作るべきではないかと
私はこう考えています。
さらに、このような行為は頑張った学生にも不公平である。努力したことが認められていないとも言えるでしょう。つまり、全ての人への公平は、すべての人への不公平であります。
したがって、punishment systemが形成され、頑張ったら抑えられる、認められない。同時に、reward systemがさらに歪み、実際に頑張らなくても、頑張っていると見せるだけで良いことにもなり得るでしょう。
能力を有する人が黙される時こそ、社会は終焉に迎える。
結局、私と先生が生きている世界が違うと結論をつけなければなりません。
もちろん以上の感想文のようなものは何を変えるか、変えようとは考えていない、考えられません。人間の思想や思考回路は長年をかけて形成したもので、簡単に変えられるわけがありません。
私の話、考えなどはどうでもいいです。それは私の価値を実現化する、体現できる場所はこの授業やこの学校ではないからです。
ですから、返事しなくてもいいです。言いたいことを言っただけです。
お体にお気をつけてお過ごしください。